戦争遺構巡り(大津編)

Posted 2018-9-11

大津

大津に残る戦争の遺構

2018年8月、この時期だからこそ過去の戦争に深くかかわった地を訪れて、滋賀県と戦争の歴史を検証しようと思いました。今回の訪問地は大津地域です。第二次大戦で甚大な被害を被ったとされる「大津空襲」を起点に、空襲の被害地、大戦中に組織された陸軍・海軍・航空隊、戦争で県民が味わった恐怖や悲しみを今に伝える遺構を訪れました。

【参考文献・資料】

『本土決戦と滋賀 空襲・予科練・比叡山「桜花」基地』
著者:水谷 孝信
出版社: サンライズ出版 (2014/8/30)

 

しがけんバーチャル平和祈念館
ライブラリー
http://www.pref.shiga.lg.jp/heiwa/library/index.html

 

 

滋賀県は他府県に比べて戦争被害が少なかったと言われていますが、実際は滋賀県には多くの戦争遂行のための軍事施設が作られ、県内の多くの地域で米軍による空襲被害を受けています。

太平洋戦争での敗戦に伴い、軍事に関する書類や資料の大半が焼却されており、空襲による民間人の被害に至っては、犠牲者の詳細だけでなく空襲被害そのものの事実が隠蔽されたそうです。

滋賀県でも戦争における公的な資料が闇に葬られたため、戦後、被害体験を持つ人々の体験談や民間で記録された写真や記録から、膨大な事実を明らかにして、繋ぎ合わせていくという大変な作業を経て、戦争の真実を今に伝えてくれています。

 

大津空襲

大津空襲(おおつくうしゅう)とは、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月24日・7月30日にかけてアメリカ軍により行われた滋賀県大津市に対する空襲(戦略爆撃)のことです。B-29による爆撃を上記の2日間受けました。

【空襲被害】

  • 昭和20年7月24日 東洋レーヨン石山工場 (現・東レ)が爆撃され、死者16名・負傷者104名を出した。
  • 昭和20年7月30日 大津陸軍少年飛行兵学校が爆撃されて死者1名、滋賀海軍航空隊基地も爆撃された。

昭和20年7月24日午前7時47分、大津の東洋レーヨン石山工場へB29による爆弾投下がなされました。投下された爆弾は、「パンプキン爆弾」といわれる原爆投下の訓練用模擬爆弾でした。当時、アメリカ軍は東洋レーヨン石山工場を軍事工場だとして攻撃したそうですが、犠牲になったのは民間人でした。県下最大の空襲被害を受けた事実にもかかわらず、現在の東レ工場では、爆撃を受けた記録がほとんど残されておらず、慰霊碑も立っていないそうです。また、同年7月30日には、大津陸軍少年飛行兵学校と滋賀海軍航空隊が空襲を受け、大津陸軍少年飛行兵学校で女性一人が犠牲になっています。犠牲になった女性は結婚目前だったそうです。

◎「大津空襲」詳細記事はコチラ

 

大津陸軍少年飛行兵学校跡地

昭和18年4月、大津に「大津陸軍少年飛行兵学校」が開設されました。大津陸軍少年飛行兵学校は、飛行兵不足を補うことを目的に、当時の15~16歳の少年たちを対象にした訓練機関でした。昭和20年の終戦までに多くの少年飛行兵が育てられました。昭和20年7月30日の大津空襲では、大津陸軍少年飛行兵学校が爆撃の標的となり、同学校に勤務していた女性が犠牲になっています。現在、大津陸軍少年飛行兵学校の跡地には、大津市立市民文化会館が建っています。「至誠・純真・元気・周到」の校訓のもと、厳しい訓練が行われた跡地には「若鷲の碑」が建立されています。

◎「大津陸軍少年飛行兵学校跡地」詳細記事はコチラ

 

滋賀海軍航空隊基地跡地

第二次大戦中、日本軍は敵艦に体当たり攻撃をする「特別攻撃隊」を編成、多くの若者が海に散りました。滋賀県には、特攻隊員を養成するための訓練基地がありました。約1万人の若者に特攻訓練を施したのが「滋賀海軍航空隊」です。この地で訓練を受けた多くの若者が、特攻隊員として配属され帰らぬ人となりました。「滋賀海軍航空隊基地」跡地が、滋賀県大津市のJR湖西線唐崎駅前にあり、駅前ロータリーに平和記念碑が建立されています。昭和20年の大津空襲の際には、滋賀海軍航空隊基地に対してアメリカ軍による爆撃攻撃が行われています。

◎「滋賀海軍航空隊基地跡地」詳細記事はコチラ

 

大津海軍航空隊(大津海軍水上機基地)跡地

大津には、海軍の飛行兵を訓練するための航空隊が2つありました。「滋賀空」と呼ばれていた「滋賀海軍航空隊」と、もう一つは「大津空」と呼ばれていた「大津海軍航空隊」です。「大津海軍航空隊」では、主に水上飛行機の訓練を中心に行われ、「大津海軍水上機基地」として琵琶湖岸に設けられました。昭和20年の大津空襲の際には、大津海軍航空隊基地に対してもアメリカ軍による爆撃攻撃が行われています。「大津海軍水上機基地」跡地は、現在、陸上自衛隊の大津駐屯地になっています。かつての大津海軍航空隊基地内には、隊内神社(際川神社)が祀られていました。現在は、大津駐屯地の正面口の対面の敷地外にある地主神社と一緒に祀られています。

◎「大津海軍航空隊(大津海軍水上機基地)跡地」詳細記事はコチラ

 

比叡山「桜花」ロケット基地(特攻秘密基地)跡地

第二次大戦中、「滋賀海軍航空隊基地」は敵艦に体当たり攻撃をする「特別攻撃隊」の訓練基地として、全国の多くの若者に特攻訓練を施しました。そして、大戦末期になると、「滋賀海軍航空隊」は本土決戦を想定した特攻基地を、大津の比叡山(848m)の山頂付近に作りました。比叡山の特攻基地には、敵に体当たり攻撃を行う特攻機「桜花」が配備される予定でした。比叡山の坂本ケーブルカーを使って資材を運搬し、山頂に特攻機「桜花」のカタパルト(発射台)を設営し、本土決戦に備えていたのです。しかし、発射台が完成した昭和20年8月15日に終戦を迎えたため、比叡山から特攻機が飛び立つことはありませんでした。比叡山の特攻基地は、当時の軍事機密だったため、極秘裏に建設が進められており、終戦後もアメリカ軍が破壊・撤収したため、公的な資料が残されていません。

 

崇福寺跡(防空壕)

飛鳥時代後期から室町時代にかけて存在した崇福寺(すうふくじ)の寺跡が、比叡山南麓、大津市滋賀里の3つの尾根上に遺っています。668年に天智天皇により建立された崇福寺は、延暦年間に十大寺に選ばれるまで栄えたが、室町時代に廃寺となった。現在の寺跡は、国の史跡と歴史的風土特別保存地区に指定されている。
崇福寺跡には、昭和20年に大津海軍航空隊によって掘られた防空壕が遺っています。7~8本ある防空壕のうちの2本はトンネルのように繋がっています。

◎「崇福寺跡(防空壕)」詳細記事はコチラ

 

還来神社(大津市伊香立)

大津市伊香立途中町に還来神社(もどろぎじんじゃ)という神社があります。桓武天皇の皇妃で淳和天皇の生母、藤原旅子を祀る神社。旅子の遺言によって、死後、生まれ故郷のの地に戻ったことが、還来という社名に由来している。境内に神木椰の古木が遺っており、その木の下に埋葬されたと言い伝えらている。「還来」とは「かえってくる」という意味で、旅行に行った人が旅の安全の祈願する神社として知られています。
戦時中には、兵隊として出征する人たちが生きて帰還できるようにと、県内外から多くの人が祈願に訪れたそうです。

◎「還来神社」詳細記事はコチラ

 

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FIND OUT管理人

滋賀県出身。大阪でインターネット広告やWEBマーケティングを扱う会社を経営。管理人自らが滋賀県の集落や廃村、地域に根差した神社・仏閣、戦争遺構などを現地調査を通じて紹介しています。

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