西野隧道(西野水道)

Posted 2018-10-15

湖北

江戸時代に余呉川の氾濫を防ぐためノミと槌で掘り抜いたという西野隧道

西野水道(西野隧道)とは、長浜市高月町西野で掘られた、余呉川の放水路のことです。西野隧道の初代放水路は、江戸時代の1840年(天保11年)に、僧侶であった西野恵荘によって掘削されました。当時、村は余呉川の氾濫に悩まされており、氾濫する河川の水を琵琶湖に放流すべく、琵琶湖岸に立ちはだかる山の岩盤を重機も何もない時代に、ノミと槌だけを用いて、人力で掘り抜いたのです。この掘削の偉業により、余呉川の氾濫で度々惹き起こされていた大飢饉を回避することに成功しました。
二代目の放水路は1950年(昭和25年)に完成し、更に、1980年(昭和60年)にはその南側に大規模な三代目放水路が完成しました。
現在、放水路として稼働しているのは、三代目放水路のみです。
莫大な資金が投入され、また落石事故で多くの犠牲者を出すなど難工事の末に完成させた初代放水路は、滋賀県指定文化財に指定されています。
二代目放水路は、現在は、琵琶湖側への連絡通路として使用されており、隧道の中を見学することができます。

 

西野隧道訪問記(2018年10月)

2018年10月に日帰りで奥びわ湖を巡りました。湖西道路から国道161号線を進み、海津から琵琶湖岸にあるマキノ鉱山跡、菅浦集落、西野隧道、山本山城跡を目指すルートです。

★奥びわ湖を巡る旅(2018年10月記事一覧)

マキノ鉱山跡

菅浦の湖岸集落

西野隧道

山本山城跡

 

 

西野水道(西野隧道)は、長浜市高月町西野地区にあります。

 

滋賀県指定文化財として史跡に指定されている「西野隧道」は見学できる施設として整備されています。

 

施設事務所の中には「西野隧道」に関する情報や資料を見ることができます。

 

音声による説明が聞けます。やたら音がでかいので注意!

初代西野隧道

江戸時代の1840年(天保11年)に掘削を開始したという初代西野隧道。

 

こうやって目の前に立ってトンネルの中の暗闇を見ると不気味です。

 

この日は、前日に台風が来て大雨が降ったため足元が悪すぎて中に入るのは断念しました。施設事務所には、ヘルメット、長靴、懐中電灯が用意されており、トンネルの中に入ってもいいようです。しかし、この中に入っていくには相当な度胸がいるでしょうね。

 

入口の上には「西野隧道」の碑石が立っています。初代隧道は、滋賀県指定文化財として史跡に指定されています。

 

下記は、初代隧道を琵琶湖側からみた放流口です。上記の入口を入って進んでいくとここに出ます。

 

放流口の中に少し入ったところから撮影した内部は、崩落防止の工事が施されている。大量の虫が飛び交っており、とても中には入れない。

 

江戸時代の後期に掘られたという初代隧道。碑石に描かれているよう、文字通りノミと槌だけで長さ220m、幅1.2m、高さ2mの隧道を掘り抜いたのです。

 

 

二代目西野隧道

1950年(昭和25年)に、二代目放水路が完成しました。

 

二代目放水路は、現在は放水路としては使用されておらず、琵琶湖側に抜ける通路として利用されています。

 

二代目隧道の中を徒歩で抜けて琵琶湖川に行ってみます。

 

照明は設置されていません。昼間ならライト無しで通れますが、夜は懐中電灯が必須ですね。でも夜、ここを通るのは怖すぎますね。

 

三代目西野隧道

1980年(昭和60年)、二代目放水路の南側に大規模な三代目放水路が完成しました。

 

現在、放水路として稼働しているのは、三代目放水路のみです。

 

西野隧道の初代、二代目、三代目の放水路を見比べることで、僅か150年の間に、いかに人類の技術が発達したのかを実感できました。

 

 

 

西野水道
所在地:長浜市高月町西野
アクセス:JR高月駅より車にて10分、北陸自動車道木之本ICより10分
駐車場:有(無料)
営業時間:終日
料金:無料
問合せ:長浜観光協会 TEL 0749-82-5909

 

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FIND OUT管理人

滋賀県出身。大阪でインターネット広告やWEBマーケティングを扱う会社を経営。管理人自らが滋賀県の集落や廃村、地域に根差した神社・仏閣、戦争遺構などを現地調査を通じて紹介しています。

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