余呉針川集落(昭和45年廃村)

Posted 2018-11-24

湖北

針川(はりかわ)集落(昭和45年廃村)

針川集落は、昭和45年の集団離村により廃村となった。余呉町の中でも北部にあり、高時川の西岸に位置している。丹生ダム建設により水没する予定だったが、ダム建設中止に伴い、現在も廃村跡は残り続けている。かつては製炭業が生活を支えていたが、昭和の燃料革命で衰退していった。針川は余呉の集落の中でも山間部の最奥に位置しており、また豪雪地帯でもあり、生活環境は厳しかったようである。

 

針川集落跡訪問記

2018年11月、国道365号線にある滋賀県最北の集落、中河内から県道285号線(中河内木之本線)の険しい道を進み、廃村地区を訪れました。中河内から県道285号線を進むと、半明・針川・鷲見・田戸・小原の順に集落跡を訪れることができます。しかし、2018年は記録的な台風が近畿地方を襲い、余呉地区の山間道路もかなりの被害が出ていたようです。ただでさえ険しい県道285号線は、がけ崩れによる道路の崩落が起こっており、半明・針川までしか辿り着けませんでした。

余呉半明集落跡訪問記事はコチラ

半明集落跡を経て、県道285号線を更に進んでいくと、険しい峠道の中に「針川」を示す標識が立っていました。

 

 

半明集落跡から285号線の険しい峠道を進んでいくと、高時川の支流に架かる橋がある。この辺りに針川集落があった。

 

針川集落を流れるこの川は、高時川の支流で、集落名と同じく「針川」。

この先に高時川の本流がある。

 

県道から集落内へと通じていた道、当時の生活道路だったと思われる。舗装されていない道路の両脇と先に見える橋を渡ったあたりに家屋が立っていたようだ。昭和45年の離村時には、14世帯がこの地で暮らしていたそうである。

 

上記に写る橋を渡ったところ、道は支流沿いに、さらに山奥へと通じている。昭和45年の離村まで、製炭業が生活の糧だった。離村から約50年経過したいま、家屋があった痕跡は見当たらない。

 

下記は、昭和45年の離村から5年後の1975年(昭和50年)の針川地区の航空写真。まだ家屋がいくつも存在しているのを確認できる。

針川集落を訪れた2018年は、記録的な台風が近畿地方を直撃しており、関空を麻痺させた台風21号においては、滋賀県北部に位置する余呉地区もかなりの被害を受けていたようで、県道285号線(中河内木之本線)は、針川集落より先の道路が通行止めになっていた。

 

 

地図内検索:
  • スポンサーリンク

  • スポンサーリンク

トップ

新着動画

スポンサーリンク

FIND OUT管理人

滋賀県出身。大阪でインターネット広告やWEBマーケティングを扱う会社を経営。管理人自らが滋賀県の集落や廃村、地域に根差した神社・仏閣、戦争遺構などを現地調査を通じて紹介しています。

>>管理人ブログ

facebook

goTop