廃村旧大萩村(集落跡)

Posted 2019-4-11

東近江

金色の観音像が佇む廃村「旧大萩村」

永源寺ダム湖の国道421号(八風街道)から県道34号多賀永源寺線に入り、峠道を進んでいくと、道路と川が平面交差する珍しい「洗い越し」に差し掛かります。この「洗い越し」を超えて、県道34号を進んでいくと、県道229号線へと通じていきます。県道229号線を進んでいくと、かつて民家が軒を連ねていたであろう苔で覆われた石垣が道路に沿って続いている姿が目に入ってきます。一見して、かつて集落が存在していたが今は廃村と化した集落跡であることがわかった。そこは、「旧大萩村」と名付けられていた。

◎洗い越し(県道34号多賀永源寺線)の記事はコチラ

 

 

県道34号多賀永源寺線から県道229号線へ進んでいくと、「旧大萩村」に着くことができる。

 

山間部の峠道に開けた景色が出現すると、道路沿いに続く苔で覆われた石垣が目に入る。ここが集落跡であることが一瞬でわかった。

 

石垣沿いを進んでいくと、右手に金色の観音像が現れました。荒涼とした集落跡に突如と現れた観音さまの姿に驚きました。

 

「旧大萩村」に鎮座する観音さま。後日、調べたところによると、大萩村は、昭和47年の台風で甚大な被害を受けたことが原因で、昭和50年に集団離村し廃村になったそうです。

 

観音さまの足元には、集落跡を示す碑石が置かれていました。

 

こちらは供養塔、台風の被害で犠牲になった人と離村せざるを得なかったためのご先祖への供養だと思います。

 

集落跡を散策します。苔に覆われた石垣を上ります。

 

家屋があった住居跡です。石垣が無ければ、ここに住居があったとは思えないほど、何も遺っていません。

 

山側に生える木々、住居の裏手に見える風景ですね。

 

古びた家屋を1軒だけ確認できましたが、人は住んでいないようです。

 

住居跡を後にします。「旧大萩村」には神社や墓地が遺っているそうです。

 

この日は、県道34号多賀永源寺線にある「洗い越し」を撮影するためにこの地を訪れていて、たまたま「旧大萩村」を通りかかって、廃村の存在を知った次第です。

下記は、大萩集落が集団離村した昭和50年に撮影された空中写真です。民家と田畑がはっきりと映っていますね。

また、この集落跡の近くに「茗荷村」と名付けられた区域があったのですが、後で調べたら、『茗荷村見聞記』という小説がもとになって開村された、行政の下で運営されている社会福祉のための施設があるようです。

次回は、「旧大萩村」に関する予習をしっかりした上で、再訪問しようと思います。

 

 

 

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FIND OUT管理人

滋賀県出身。大阪でインターネット広告やWEBマーケティングを扱う会社を経営。管理人自らが滋賀県の集落や廃村、地域に根差した神社・仏閣、戦争遺構などを現地調査を通じて紹介しています。

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